高校時代の思い出の先生

Teachers I remember at Kumagaya high school from 1985 through 1987 era.

私は、埼玉県の熊谷高等学校というところを卒業しました。以下、個人的な思い出ですので、御興味を頂ける方への専用記事です。これから 10年も経つとボケてしまい、忘却してしまう記憶もあるかと思いますので、その前にまとめておきたいと思います。大学時代にも恩師と呼べる先生はいらっしゃいますが、高校時代のほうが正直印象深いです。

以下、甚だかたじけなく、お世話になった順番とは申しあげられません。印象深かった順番、と御理解のほど、お願い申し上げます。

高橋重男先生

生物学の先生でした。あだ名は「じゅうさん」。

1985年か翌年頃でしょうか。先生の口癖は、「諸君、英語の勉強をしなくてはいけない」というものでした。他に、明確な言葉は覚えていませんが、熊谷高校はもはや優秀な進学校とはいえない、もっと謙虚になり、必死になって勉学に取り組まなくてはいけない。川越高校や春日部高校(この辺、うろ覚え)に、もっともっと優秀な生徒がいる。油断するな、というものでした。

先生は熊高を愛していらっしゃったので、これは生徒を非難するというよりもむしろ、かつて県下で無二の優秀な生徒が集っていた往時を思い、歯がゆさを隠しきれなかったのだと思います。

先生の講義の特色の一つは、術語(technical terms)を可能な限り英語で併記してくださったことです。高校生が英語の勉強をおろそかにしていることを憂いていたのでしょう。もう一つは卓越したユーモア精神をお持ちで、遺伝学の講義の際、指紋や舌を曲げることができるかどうか家族でテストしてみろ、というお話をなさった際、「お母さんが嫌がったら無理強いしてはいけない」と付け加えました。ませた一部の生徒が(熊谷高校は男子校でした)喜んで笑っていたものです。

もう一つ、先生の思い出。私は 1年生か 2年生の折、風邪をひいて生物学の試験(中間考査あるいは期末考査)を受けられなかったことがあります。高橋先生を怖い先生と思っていたので、数日後に生物学準備室(大学でいうところの研究室のようなところ)を伺ったときは心底緊張していました。先生は開口一番、「君は甘党かね?」とおっしゃいます。私はまだ高校 1〜2年生で、緊張もあって、慌てて「は、はい!」と申し上げたところ、非常に甘いコーヒーを自ら淹れてくださいました。

先生は手近な机に試験用紙を置くと、「君。ぼくはちょっと用事があるので外出する。答案ができたら、ぼくの机の上に置いていってくれたまえ」と言い、さっさと外出なさってしまいました。(いま考えると、カクトもあって早く御帰宅なさりたかったのかも知れませんが。)

うぶな高校生のことです。そこまで信用されてはインチキ(カンニング)はできません。私は生物学は苦手ではありませんでしたが、そこそこの答案を仕上げ、無人の生物学準備室を後にしました。

付記: 先生は当時、御年 55歳くらいではなかったかと思います。ウェブで探すと、生物学のみならず、博物学(最近はそのような用語は使われませんが)全般に、研究御熱心な方であったようです。

2021年5月記述。これからも加筆して参ります。

山川先生(社会科。お名前調査中)

川上先生(物理学。お名前調査中)

高際敬子先生(国語。調査中)

大澤先生(音楽? 調査中)

大迫先生(体育。調査中)

石渡先生(体育。調査中)

村越先生(社会科。 調査中)

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